Alp



「…い、おい」
「…ん」
「い、おい。いい加減…」
 自分を呼ぶ声がどこか遠くから聞こえる。ヘンリエッタは返事ともつかない小さな声をもらした。ずーっと天の川を眺めていたはずなのに、目の前は真っ暗で―。
「ヘンリエッタ」
 黒一色の景色の中、懐かしい声が呼ぶ。一年ぶりの、ずっと聴きたかった声だ。そう、夢魔の。パッと瞼を開けた瞬間、
「っきゃあ!」
「ってぇ!!」
 すぐ近くに迫っていた顔に反射的に平手打ちを見舞った。不意打ちを食らった夢魔は、ヘンリエッタ上からも彼女の眠っていたベッドの上からも無様に転げ落ちる。ゴンッという鈍い音がして、声にならない悲鳴を上げた。
「あ、ゴメン」
 ものすっごく痛そうな音に、流石に悪いと思ったヘンリエッタが両手を合わせて拝むように謝る。
 ぶたれた頬よりもぶつけた頭が痛かったらしい夢魔は、用心深く頭を押さえながら睨め上げた。さほど大きくないがコブが出来ている。
「アンタさぁ…久しぶりに、会ったってのに、それはないんじゃない?」
 痛みを堪えるように食いしばった歯の隙間からもれる声も、視線も心底恨めしげだ。
「まったくこの日のために力蓄えて、ようやく会いに行けると思ったら、アンタ中々眠らなくて結構待たされたし」
「し、仕方ないじゃない。眠れなかったんだから」
 ぶったことは悪いとは思うが、言われっぱなしも悔しいので反論する。眠る眠らないも自由でしょ、と言ったつもりだった。が、夢魔はニヤリと笑った。愉快そうに。
「っへえ、それって寂しくて眠れなかったってこと?」
 オレに会えなくって、と続けた夢魔は明らかに面白がっている。こんな風に言われてはたとえ図星だろうと素直に答えたくなくなる。だが、からかう中にも純粋に嬉しそうな様子が紛れていて、違うと言うのも気が引ける。肯定するのも癪だし、否定すれば嘘になる。迷った末にヘンリエッタは話を逸らすことにした。
「そういえばコレって夢なのよね」
 あからさまなヘンリエッタの逃げに不満げに鼻を鳴らした夢魔だったが、真っ赤になっている顔に満足したのか、まぁ見逃してやるか、と上から目線で頷いた。
「夢魔であるオレが、誰にも見つからずに確実にアンタに会おうとしたら夢しかないだろ」
「…そっか」
「なのにアンタときたら、目が覚めるなりぶつんだもんな」
「あ、あれはいきなり顔が近かったから、驚いて…!大体何しようとしてたのよ!!」
「…お目覚めの、キス」
「なっ…!?」
 ビシリと指を立てて詰問するヘンリエッタに、夢魔はそっぽを向いて答えた。瞬間、ヘンリエッタの頬は先程とは比べものにならないぐらい、火がついたように真っ赤になった。
「一応オレはアンタの王子様だし」
 もし、これがニヤニヤと笑っていたりしたら、彼はもう一度床に沈むことになっていただろう。そうされても仕方ないくらい衝撃的な一言だ。
 だが、下を向いたままボソボソと呟くその青白い頬は、頬の辺りだけが赤みを帯びていた。それなのに幸せそうな頬とは逆に、とんがった尻尾は力なく下がり心なしか肩も落とされている。
 普段意味もなく偉そうだったり、他者(主にヘンリエッタ)をからかうも多い夢魔だが、実はこういう一面もあることをヘンリエッタは知っていた。意外に自分に自信がなかったりするのだ。ラプンツェルはヘタレと言っていた。
 実に一年ぶりに、そんな夢魔の可愛らしいところを見て、憤り―本当は照れだが―が解けていく。
 両手を握って、よし、と気合を入れ床に胡坐をかいて座り込む夢魔の横に腰を下ろす。
 平手打ちをしたせいで少し赤く腫れている頬に痛まないようにそっと触れた。
「………」
 夢魔はキョトンとして、すぐ近くにある少女の顔を見つめる。何度も何度も瞼と口の開け閉めを繰り返す。
「…痛いの痛いのとんでいけ〜、のおまじないよ!」
 恥ずかしくて恥ずかし過ぎて、誤魔化すように精いっぱい元気に言う。夢魔はさっきより赤いし、自分もいやもっとずっと真っ赤だろう。
「きゃ」
「…アンタからしてもらうのって、初めてだよな?」
 ぎゅう、とヘンリエッタを腕の中に閉じ込めて、信じられないと言うように呆然と呟いた。
「そ、そうだけど…嫌だった?」
「嬉しいに決まってるだろ!あーもー、夢じゃないよな、コレ。いや夢の世界なのは分かってるけど」
 ここはアンタの夢の世界で、さっきのもアンタの意思でやってくれたんで、オレの望みが見せた夢じゃなくて…とブツブツと呟きながら、腫れた、けれどもう痛みが気にならない頬を押さえた。
 羽のように軽い、たった一瞬の唇の柔らかさが、ずっとずっと残っているような気がした。


「ねぇ、ところで夢魔」
「あぁ、何だよ?」
「さっき力を蓄えたって言ってたけど…」
「それが?」
「…まさか、女の人夢食べて、じゃないわよね?」
「な、ばっ、ちっげーよ!!」
「じゃあ、どうしたの?」
「………」
「夢、魔?」
「アンタの仲間に力貸してくれって頭下げて回ったんだよ!」
「そうなの?じゃあみんなにもお礼言っておかないと」
「…大体、アンタがいるのにそんなことする訳ないだろ」
「…そっか。えへへ、ありがとう!」


 思えば夢魔を書くのは初めてです。しかもゲーム封印状態で書いたため、偽物警報発令中です。
 この後の話のパターンを決定した話です。

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